ものおき

書いた文章をぶん投げる

そのひとはそこにいる

もうきっと二度と会わないだろうし、万が一何処かの道ですれ違ったとしても、気づかないだろうっていう、昔は自分の大部分を占めていた人が何人かいる。

 

もう会うはずがない。会えるはずがない。だけど、ことあるごとにその人たちのことを思い出す。

乗っている電車が、その人の名前に似た駅に停車したとき。その人が好きだった食べ物が夕飯に出てきたとき。その人に教えてもらった音楽をふと街角で聞いたとき。その人と行ったところに行くとき。わたしの中にその人が現れる。

 

 

これは呪いだろう。ある種の。

わたしがその人たちのことを忘れない限り、もう会うはずもないのに、一生その人たちのことを思い出すのだ。そして、わたしの中の大部分を埋めていたその人たちの、ぽっかりと空いた黒い黒い楽園跡地を、じっと見つめる。その穴を見つめてしまえば、わたしはきっとしばらくは忘れることができない。忘れた頃にまたその人たちは現れるから、堂々巡りの喜劇である。

 

さらに救えないことには、現れるその人たちは昔のままだ。きっとその人たちは今なお、変わっている。変わらない人なんていない。それなのに、そのままだ。そのまま生き続けている。それはひどく心地よくて薄気味悪い。

 

「人の死とは、人に忘れられることだ」と誰かが言った。

その通りだと思う。人に認識されてこその生であり、その生に本当の死があるのなら、忘れられて、どこにもいなくなることだと思う。しかしこの生き方は少々歪ではないか。

 

いっそ忘れてしまえばいいのに、そのための人間の「忘れる」という機能のはずなのに、ことあるごとに蘇らせてはデータを更新するからよくないな。詳細は思い出せなくとも、大事なポイントだけは覚えている。その要約力をもう少し他のことに生かして戴きたい。

 

 

その人はずっと心の柔らかいところに居座るつもりらしいし、わたしはそれを甘んじて受け入れてしまっている。その人の意志とは関係なく。

 

 

思い出とはそうして形作られる。