そとから
あなたの背には大きな窓があった。私はその目の前に座り、その窓の外を眺めるふりをして、あなたを見ていた。
夕日に照らされキラキラ輝いた、大きな川がその額縁から通り過ぎる。ビルで埋め尽くされたかと思うと、遠くに団地が見える。そこにはポツポツと灯りがついていた。今度は帰宅ラッシュだろうか、渋滞した車たちが登場しては流されていく。
ひとつひとつ物語があろうその街の風景も、今、私とあなたには只の背景だ。いや、あなたはその背後全てが自分を引き立てるためだけに存在しうることに、気づいていないだろう。少し丸まった身体が意識を向けるのは、手元の本、ただそれだけだった。
伏せられた目が、文字を追って上下に揺れ動いている。ページがめくられるその一瞬前が私にはわかる。あなたの目蓋が僅かにその先端のまつげを揺らすからだ。
車輪が鳴らす軋みも、モーターのけたたましい駆動音も、あなたが没入する世界には決して進入することができない。あなたはその窓辺においてたったひとり、本の扉をめくっている。
その身体は静寂を纏っていて、無駄な動きなんてないようだったから、私もなんだか身じろぎできなかった。車両の揺れに無意識に振られるくらいだ。あなたは気づいてない。気づいていないけれど、私はあなたに呼応していた。
気づかれたくないけど、ただ、私は少し寂しいとも思った。あなたの世界に私はいるはずもなく、私はあなたの世界の表面しかみることができない。
あなたはひとりで、それが美しかったから、寂しいのに、邪魔することなんかできなかった。だから私は本当に本当に、細心の注意を払って音を立てずにそこにいたのだ。
本が閉じられた。
糸のようなものが切れる音が聴こえて、喧騒が戻ってくる。あなたが帰ってきた。一心に文字を追っていた瞳は次の駅を示す液晶に向けられ、荷物は持ち上げられる。
そのうち背景の移り変わりも速度を落とし、駅に着いてしまう。あなたは本の世界のことなど知らない風に、さっさと車両とホームの隙間を跨いで出ていってしまった。溜息をつきながら、私は足を少しだけ動かした。その方がすわりがよかった。
窓はただの窓になった。