ものおき

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無敵の人こわい

この間、アメリカのカンザス州のバーで銃の乱射事件があって、5人が死亡したと、今朝のニュース番組で聞いた。犯人は未だ逃走していて、警察は捜索を続けているらしい。

 

ああ、また無敵の人か、と思った。

 

アメリカは銃規制が進んでいなくて、これは銃協会とトランプ政権の忖度だとか、全面的に禁止しても、隠し持っている人がいればそれに対抗する力を持てないだとか、きっと複雑な事情が沢山あるのだろうけれど、まあつまり現行ルールではだれでも銃を持ててしまう。

それをいいとも悪いとも言わないけれども、どうしても「無敵の人」に道具を与えてしまう。

そして、その上での社会制度や法律は、そんな無敵の人を抑止するすべを持たない。

無敵の人は無敵だから、全てが終わってからでなければ逮捕も銃殺もできない。無敵の人に殺される人を救うのはよっぽどの奇跡がなければ間に合わない。もし無敵の人を捕まえたとしても、それまでに殺されてしまった命は戻ってこない。

 

日本だって同じだ。日本では銃は規制されているが、例えば包丁ならだれでも買える。そのほか、凶器になりうるものならいくらでもある。

 

ここで私が「無敵の人」と言っているのは、自分がその事件を起こした後どうなってもいい、人生なんていらない、と思って大事件を起こす人のことだ。

日本の事件であれば、秋葉原スクランブル交差点での大量殺人事件、川崎でスクールバス待ちの幼稚園生が犠牲になった通り魔事件などが分かりやすいだろうか。事件を起こした後の自分のことなんて知ったこっちゃない、後者については自死している。

 

凶器の規制は現実的でないことは分かっている。でも、それがあることによって、無敵の人が生まれたときの被害は大きくなる。アメリカでも、銃規制があれば……と思う遺族も少なくないだろう。日本だって、トラックを使って…などとなると、銃乱射のときくらい被害は大きくなる。

 

となると、無敵の人が生まれない社会にするしかないと思うのだけれど、それには国主導の社会保障が必要だ。

社会保障は、日本で言えば生活保護が代表的だろう。他にも、国民健康保険とか、介護保険とか、年金とか、自分に不慮の事態が起きたとしても、お金がなくなっても、とりあえずまだ生きてみよう、と思わせるような仕組みだ。

これがないと、人生がどうでもよくなって――それだけで済むならまだいいが――なんならちゃんと生活できている人を憎んでしまって、そうして無敵の人が生まれてしまう。

 

日本はまだそれなりに社会保障がしっかりしてるけれど、アメリカは個人の責任みたいなところあるから、無敵の人も生まれやすいのかなって。日本に届かないだけで、細々とした事件は起こってるみたいだし…(そりゃそうだ)

 

 

でもこの先日本も、税制が立ち行かなくなって、例えば年金や介護保険が民間に降ろされて、うまくやりくりできないひとがドロップアウトする仕組みになってしまったら。生活保護制度が廃止されたら。例えば失業保険がなくなって、失業したら人生が終わり!って社会になってしまったら。

無敵の人は増えるだろう。それってこわいなって朝ごはんの鯖を食べながら思った。

こわいという感覚は慣れると忘れてしまうから、ちゃんと書き残しておきたいと思う。